中国、三国魏(ぎ)の詩人。字(あざな)は子建。沛国譙(はいこくしょう)(安徽(あんき)省)の人。父は後漢(ごかん)末の英雄曹操(そうそう)(魏の武帝)である。群雄割拠の乱世に、卓抜な軍事的才能を発揮し、華北を統一した曹操は、一世の風雲児であったのみならず、一方において文学を愛好した詩人でもあった。王粲(おうさん)ら「建安(後漢末の年号)七子」に代表される文人集団は、曹操政権の確立とともに形成され、文学の歴史に画期的な変革をもたらした。それまで民間の歌謡であった素朴な五言の詩形を、複雑な思想と感情をも表現しうる知識人の文学形式にまで高め、賦(ふ)から詩へと文学の主流が転回する道を切り開いたのである。曹植は建安の文人の最年少者であり、その文学活動は後漢から魏にまたがっているが、建安の文学を集大成し、五言詩の完成にもっとも大きく寄与した。
曹操は、才気あふれる曹植を愛していたものの、天才肌にありがちな節度のなさに失望し、217年(建安22)に兄の曹丕(そうひ)(魏の文帝)を後継者と定めた。曹丕も優れた文章家であり詩人であるが、曹植のようなきらびやかさはない。後継者決定に至るまで、双方の側近グループが政治的に暗躍したこともあって、兄弟の間に生じた確執は長く尾を引く結果となった。「七歩の詩」は、七歩あるく間に詩をつくれという曹丕の難題に曹植がこたえたものとして知られる伝説的エピソードである。220年に曹操が死に、後漢の禅譲(ぜんじょう)を受けて曹丕が魏皇帝に即位すると、皇帝権力の強化が図られ、魏室の一族はかえって圧迫された。曹植も王とは名ばかりの幽閉同然の身となり、監視つきで封地に赴いた。頻繁に国替され、明帝(曹丕の長子)の代も不遇のまま、41歳で死んだ。諡(おくりな)は思。最後の封地が陳(河南省淮陽(わいよう)県)であったので陳思王ともよばれる。後半生の悲劇を反映して、その作品には激情と悲哀が色濃く表現されており、自己の境涯を暗示し形象化する力量は、唐代の李白(りはく)や杜甫(とほ)以前の詩人のなかでもっとも傑出している。『曹子建集』10巻がある。
[成瀬哲生]
『伊藤正文訳注『中国詩人選集3 曹植』(1958・岩波書店)』▽『吉川幸次郎著『三国志実録』(1962・筑摩書房)』
中国,三国魏の詩人。字は子建。譙(しよう)(安徽省)の人。魏の武帝曹操の三男に生まれた。すぐ上の兄に曹丕(そうひ)(魏の文帝)がある。年少のころから詩文に天才的な能力を発揮して,詩人でもあった父曹操の舌を巻かせた。父の寵愛を受けて,一時は太子に立てられんばかりにもなったが,詩人らしい奔放な処世態度が災いして,兄曹丕に敗れた。父の死後,曹丕が即位すると,彼はことごとに圧迫をこうむって不遇な後半生を送り,41歳で病死した。最後の任地が陳で,死後思王と諡されたところから,陳思王とも呼ばれる。彼は父曹操や兄曹丕を中心とする建安の詩人たちの新詩歌運動(建安文学)が高潮期に達したころ成長し,その成果を着実に受けつぎつつ,より複雑な景・情を描く高度の文学に育てあげた。初期の五言詩にすぐれた抒情の可能性を開拓した功績は高く評価される。唐以前における最大の詩人として,長く敬愛を集めた。70首ほどの詩が伝わる。
執筆者:興膳 宏
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…後漢の班固の《詠史詩》はその最も古いもので,前漢文帝の時代の孝女緹縈(ていえい)の物語を主題として感慨をうたう。6世紀初に編まれた《文選(もんぜん)》では,詩の一体として〈詠史〉の部を設け,王粲(おうさん)〈詠史詩〉,曹植(そうしよく)〈三良詩〉以下,21首の作品を収める。王粲,曹植の詩は,ともに春秋秦の穆公(ぼくこう)に殉死した3人の忠臣の話をうたっている。…
…たとえば原始経典中には仏にそなわる三十二相の一つとして梵音清徹ということが述べられていたり,また修行僧が集まり教義の肝要の会得や諸利益のため美しい声で唄を誦することの意義が説かれており,インドにおける声明の原型の存在が想像される。中国においては3世紀初頭の魏の曹植が,魚山(ぎよさん)(山東省泰安府)へ行ったおりに梵天の響きを聞き,その声節を写して梵唄を作ったと伝えられている。その後,隋・唐時代にいたる間は中国仏教の盛期で,この間に各種の仏教儀式が整い,声明の中国化が進み,やがて日本に請来される。…
…四言詩も作られるが,しだいに衰弱する。五言詩の代表的詩人曹植(曹丕の弟)は豊富な題材を熱情的にうたったが,真の主題は漢の〈賦〉と同じく,人間の運命への疑問であった。この800年間で最大の長編物語詩《孔雀(くじやく)東南飛》も建安年間の作といい,五言詩の成熟を示す。…
… 六朝時代の初期になると,それまでの叙事をこととする雄大な長編のほかに,抒情的な短編の賦が現れて,新しい境地を開拓した。王粲(おうさん)の〈登楼の賦〉や曹植の〈洛神(らくしん)の賦〉などは,抒情小賦の代表的な成果である。さらに六朝後期には,駢文(べんぶん)の発展と呼応して,対偶表現は一段と徹底し,ほとんど全編が対句から構成されるまでになったほか,平仄(ひようそく)を整えて音声上の効果をよくするくふうも導入された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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