中国,戦国時代末期の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。ただこれら宋玉の作と称される諸作品は,〈九弁〉が“悲秋”の文学伝統に,また〈神女の賦〉が美人描写の文学伝統につながるなど,後世の文学に大きな影響を与えている。
執筆者:小南 一郎
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生没年不詳。中国、戦国末期の楚(そ)国の辞賦(じふ)作家。伝記も明らかでないが、往古の記録から推せば、楚の鄢(えん)(湖北省宜城県)の人。貧士の出身で、頃襄(けいじょう)王(在位前298~前263)に仕えて小官となり、やがて唐勒(とうろく)・景差(けいさ)とともに楚の宮廷文壇に参加し、なまめかしく美しい作風をもって頭角を現したらしい。彼の作風は、以後に展開する漢代宮廷辞賦の先駆をなすものといえる。その作品は、もと16編あったといわれるが、現在伝わる辞賦のうち、ほぼ確実なものは、『楚辞』所収の「九弁」「招魂」、『文選(もんぜん)』所収の「風賦」「高唐賦」「神女賦」「登徒子好色賦」の六編。いずれも甘美で哀切な叙情に富む作品である。
[岡村 繁]
…《詩経》が北方黄河流域に発生したのに対し,《楚辞》は南方長江(揚子江)中流域,楚の国に生まれた。古い伝承によれば,《楚辞》は屈原とその弟子の宋玉らの作だという。なかでも,最も有名な〈離騒〉は,代表的な作者たる屈原が,みずからの世にいれられぬ苦悶をうたったものとして知られる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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