津井浦(読み)ついうら

日本歴史地名大系 「津井浦」の解説

津井浦
ついうら

[現在地名]上浦町津井浦

夏井なつい浦の西に位置。「栂牟礼実録」によると大永七年(一五二七)大友義鑑に攻められて憤死した栂牟礼とがむれ(現佐伯市)城主佐伯惟治の家臣のうち、惟治死後も同城にとどまった家臣中に津井要・同舎人がいた。また天正六年(一五七八)高城・耳川合戦で戦死した佐伯家中のうちに津井右馬・同舎人など津井姓四名がいた。「大友家文書録」によれば同一四年の島津軍の栂牟礼城攻略の際、津井太郎右衛門らが堅田かたた(現佐伯市)に派遣された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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