室町時代からみえる地名。中世の山城である高城が所在した現高城町
北条氏滅亡後、南北朝内乱のなかで南朝方の肝付兼重は三俣院を拠点とした。建武三年(一三三六)一一月から北朝方の日向国大将畠山直顕は将軍家の家領であった島津庄日向方の確保のため、翌四年の
至徳元年(一三八四)一一月二七日、和田正覚はその菩提寺の僧とみられる金剛仏寺(現高崎町、東霧島神社の別当寺勅詔院)の宥存とともに、三俣院北方の春日社に鐘を施入しているが(「正覚施入状写」三俣院記)、春日社は天徳二年(九五八)の建立と伝えられ、別当寺は春日山三摩地院
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
宮崎県南西部、北諸県(きたもろかた)郡にあった旧町名(高城町(ちょう))。現在は都城市(みやこのじょうし)の北東部を占める地域。旧高城町は1934年(昭和9)町制施行。2006年(平成18)都城市に合併。旧町域は高城町を冠する大井手(おおいで)、桜木(さくらぎ)、穂満坊(ほまんぼう)、石山、有水(ありみず)、四家(しか)の6大字(おおあざ)からなる。中世城館高城、別名月山日和城跡(がっさんひわじょうし)があり、近世は高城郷であった。旧町域の西部を大淀(おおよど)川が北流し、都城盆地の北東部を占める。国道10号が通る。荘園(しょうえん)時代は島津荘三俣院(しまづのしょうみまたのいん)に属した。高城は中世、南朝方の南九州の一拠点で、後の戦国時代に伊東氏から薩摩(さつま)島津氏の領有となったが、元和の一国一城令で廃された。農業が中心で、サトイモ、葉タバコなどのほか畜産も盛ん。高城城跡のほか、石山観音池、城跡東部の台地上には牧之原古墳群(まきのはらこふんぐん)がある。
[横山淳一]
『『高城町史』(1989・高城町)』
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…松島丘陵の東部を占め,松島の浮かぶ松島湾に面する。高城(たかぎ)川河口にある高城が中心集落で,近世には宿場町,漁港であった。松島観光の一中心で,伊達氏代々の菩提寺瑞巌(ずいがん)寺,五大堂,観瀾亭や水族館があり,観光船が発着する桟橋の周辺に多くの旅館,みやげ物店が集まる。…
…1578年(天正6)11月12日に日向国高城(たかじよう)(現,宮崎県北諸県郡高城町)をめぐって行われた大友氏と島津氏の決戦。薩摩・大隅両国の大名島津義久は,77年末に隣国最有力の大名で大友氏と同盟関係にある伊東氏を日向から駆逐した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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