デジタル大辞泉
「高城」の意味・読み・例文・類語
たか‐き【高▽城】
山地にある城。高い土地に構えたとりで。
「宇陀の―に鴫罠張る」〈記・中・歌謡〉
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たか‐き【高城】
- 〘 名詞 〙 高い山や岡の上に築かれた城郭。
- [初出の実例]「宇陀の 多加紀(タカキ)に 鴫罠張る」(出典:古事記(712)中・歌謡)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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高城
たかじよう
室町時代からみえる地名。中世の山城である高城が所在した現高城町大井手を中心とする一帯に比定される。高城は月山日和城とも通称され、享禄三年(一五三〇)頃には山之口城(現山之口町)・梶山城(現三股町)などとともに伊東氏が確保した庄内三俣の八外城の一つとされていた(年未詳「先代日向一国時支配覚」予章館文書、年未詳「北郷家家譜写」北郷文書)。城の東から南を東岳川が流れ、城郭は池の城・内の城・中の城・本丸・取添など八区画から構成されている。
北条氏滅亡後、南北朝内乱のなかで南朝方の肝付兼重は三俣院を拠点とした。建武三年(一三三六)一一月から北朝方の日向国大将畠山直顕は将軍家の家領であった島津庄日向方の確保のため、翌四年の石山城の落城に至るまで三俣院の「兼重城」を攻め、その軍勢には大隅の禰寝氏らが加わっていた(同年正月一〇日「建部清種軍忠状」池端文書、同年四月二三日「建部清道軍忠状」肝付文書など)。ここにみえる兼重城は高城をさすとみられ、暦応四年(一三四一)七月二三日の畠山直顕注進状写(禰寝文書)には兼重の本城は三俣院と記され、石山城、南郷大和田城(現都城市の都城であろう)をも拠点としていた。「三俣院記」によると高城は三俣院に属し、南北朝初期に南朝方の肝付兼重が高城を居城として三俣八郎と名乗ったことが記される。近世の史料である志布志大慈寺(現鹿児島県志布志町)の前代知行員数之事(肝付文書)には、三俣院内の「南方守行名地頭職半分」は「畠山殿寄進」と記されるが、これは畠山直顕による寄進とみられる。観応二年(一三五一)以降、畠山直顕は大慈寺を保護しており(同年八月一九日「畠山直顕寄進状写」大慈寺文書など)、三俣院が足利氏の所領となっていたことからみても、寄進の記載は事実を反映したものであろう。
至徳元年(一三八四)一一月二七日、和田正覚はその菩提寺の僧とみられる金剛仏寺(現高崎町、東霧島神社の別当寺勅詔院)の宥存とともに、三俣院北方の春日社に鐘を施入しているが(「正覚施入状写」三俣院記)、春日社は天徳二年(九五八)の建立と伝えられ、別当寺は春日山三摩地院東龍寺であった(三俣院記)。春日社は高城町大井手にある現在の春日神社、東龍寺は大井手の春日馬場にあった真言宗寺院で、島津庄三俣院の支配基盤として建立されたものであろう(「日向地誌」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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高城
たかじょう
宮崎県南西部、北諸県(きたもろかた)郡にあった旧町名(高城町(ちょう))。現在は都城市(みやこのじょうし)の北東部を占める地域。旧高城町は1934年(昭和9)町制施行。2006年(平成18)都城市に合併。旧町域は高城町を冠する大井手(おおいで)、桜木(さくらぎ)、穂満坊(ほまんぼう)、石山、有水(ありみず)、四家(しか)の6大字(おおあざ)からなる。中世城館高城、別名月山日和城跡(がっさんひわじょうし)があり、近世は高城郷であった。旧町域の西部を大淀(おおよど)川が北流し、都城盆地の北東部を占める。国道10号が通る。荘園(しょうえん)時代は島津荘三俣院(しまづのしょうみまたのいん)に属した。高城は中世、南朝方の南九州の一拠点で、後の戦国時代に伊東氏から薩摩(さつま)島津氏の領有となったが、元和の一国一城令で廃された。農業が中心で、サトイモ、葉タバコなどのほか畜産も盛ん。高城城跡のほか、石山観音池、城跡東部の台地上には牧之原古墳群(まきのはらこふんぐん)がある。
[横山淳一]
『『高城町史』(1989・高城町)』
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高城[町]【たかじょう】
宮崎県南部,北諸県(きたもろかた)郡の旧町。都城(みやこのじょう)盆地の北東部を占め,米作,畜産を行い,葉タバコ,サトイモ,ゴボウなども産する。国道10号線が通じる。2006年1月北諸県郡高崎町,山田町,山之口町と都城市へ編入。94.21km2。1万2613人(2003)。
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高城
たかじょう
宮崎県南西部,都城市北東部の旧町域。都城盆地の北東部にある。 1934年町制。 2006年都城市,山之口町,山田町,高崎町と合体して都城市となった。江戸時代は薩摩藩領。大淀川中流の東岸地域を占め,主産業は農業で,米,サツマイモ,サトイモ,ゴボウなどを産し,畜産も行なわれる。観音池公園,石山観音寺,牧原古墳などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の高城の言及
【松島[町]】より
…松島丘陵の東部を占め,松島の浮かぶ松島湾に面する。高城(たかぎ)川河口にある高城が中心集落で,近世には宿場町,漁港であった。松島観光の一中心で,伊達氏代々の菩提寺[瑞巌(ずいがん)寺],五大堂,観瀾亭や水族館があり,観光船が発着する桟橋の周辺に多くの旅館,みやげ物店が集まる。…
【耳川の戦】より
…1578年(天正6)11月12日に日向国高城(たかじよう)(現,宮崎県北諸県郡高城町)をめぐって行われた大友氏と島津氏の決戦。薩摩・大隅両国の大名[島津義久]は,77年末に隣国最有力の大名で大友氏と同盟関係にある伊東氏を日向から駆逐した。…
※「高城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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