朝日日本歴史人物事典 「津軽信枚」の解説
津軽信枚
生年:天正14.3.21(1586.5.9)
江戸初期の大名。弘前藩(青森県)2代藩主。初代藩主為信の3男,母は白取伊右衛門の妹。徳川家康養女満天姫を室とする。慶長12(1607)年,父の跡を継ぐ。越中守。15年高岡(弘前の古名)に築城を開始し,翌年城下町の建設にも着手した。元和5(1619)年越後へ転封の幕命が下ったが,それを回避し津軽領の経営に専念した。寛永1(1624)年には青森を開港して江戸への航路を開設し,領内の経済基盤を確立しようとした。跡目を相続した直後の津軽大熊事件,高坂蔵人の乱などの家中騒動が起こったが,元和の大飢饉も乗り切って弘前藩政の祖型を作った。江戸で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報