朝日日本歴史人物事典 「津金文左衛門」の解説
津金文左衛門
生年:享保12.9.9(1727.10.23)
江戸中期の尾張(名古屋)藩士。胤忠の長男。名古屋生まれ。諱は胤臣,幼名新丞,字は子隣,号は鴎洲,黙斎。幼少より文武にすぐれ,寛保2(1742)年に家督を相続。勘定奉行などを経て,寛政3(1791)年熱田奉行・船奉行。同12年熱田海岸の開拓を開始,翌年349町余の熱田前新田の造成に成功した。また,新田耕作者のなかにいた瀬戸村の陶工,加藤吉左衛門,民吉父子を新田に窯を築くなどして保護。のちに窯を知多に移し同地の窯業活発化のきっかけをつくった。その死は,藩財政悪化の責任をとっての自殺という説もあるが,昭和3(1928)年産業振興の功によって正五位が贈られた。<著作>『陶器法伝記』
(大石学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報