日本歴史地名大系 「浅草茅町二丁目」の解説 浅草茅町二丁目あさくさかやちようにちようめ 東京都:台東区旧浅草区地区浅草茅町二丁目[現在地名]台東区浅草橋(あさくさばし)一丁目・柳橋(やなぎばし)一丁目浅草茅町一丁目の北に続く日光道中沿いの両側町。東は浅草茅町一丁目代地・浅草天王(あさくさてんのう)町代地、西は浅草福井(あさくさふくい)町一丁目、北は浅草瓦(あさくさかわら)町。往古は豊島郡峡田(はけた)領鳥越(とりごえ)村の内で、元和三年(一六一七)町屋として起立と伝える(文政町方書上)。寛文新板江戸絵図に「かや丁二丁メ」とみえる。町域は東西四六間ほど、南北は東側で五七間ほど、西側で六五間ほど。浅草御蔵手代衆・御書替手代衆の拝領地があった。文政八年(一八二五)の家数一三六。浅草茅町一丁目と同じく雛人形市・菖蒲人形市が立つほか、精霊祭草市(例年七月一三日)、浅草観音市(例年一二月一七日・一八日)も催されていた(文政町方書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by