浜田庄(読み)はまだのしよう

日本歴史地名大系 「浜田庄」の解説

浜田庄
はまだのしよう

江戸時代の浜田村を遺称とする庄園。建永二年(一二〇七)七月八日の河内某寺領注文案(正木直彦氏所蔵文書)に、摂津国雀部ささいべ寺の寺領として武庫郡東条の大嶋おおしま郷・雀部郷とともに浜田郷がみえ、文安二年(一四四五)の興福寺東金堂庄々免田等目録帳(天理大学附属天理図書館蔵)にも大嶋庄などとともに同寺領としてあげられており、面積は七九町五反大で、この頃には奈良興福寺領となっていた。雀部寺領浜田庄との関連は明確ではないが、鎌倉期には粟田あわた(現京都市東山区)領の浜田庄があった(建長八年九月二九日「崇徳院御影堂領目録」門葉記)。また室町期には京都建仁寺塔頭清住せいじゆう院領浜田庄もあり、当庄一円とよも川橋賃および持地院・念仏寺等は同院の知行するところであったが、応仁・文明の乱以降は不知行の状態となっていた(「摂津国寺社本所領并奉公方知行等目録」蜷川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む