浦上家野村(読み)うらかみよのむら

日本歴史地名大系 「浦上家野村」の解説

浦上家野村
うらかみよのむら

[現在地名]長崎市昭和しようわ一―三丁目・文教町ぶんきようまち一―四丁目

本原もとばる村の東方にあり、浦上川が流れる。南北朝期に家野因幡権守公平の領知であったという。天正一五年(一五八七)長崎町・浦上村・家野村・外目そとめ村は公領(豊臣秀吉の直轄領)となるが、慶長一〇年(一六〇五)九月に長崎新町(外町)とその属邑、つまり長崎村内が幕府領になるに伴い浦上村・家野村・外目村は再び大村藩領になったという(「大村家記」など)。大村藩領向地むかえち地区に属する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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