浮野合戦場(読み)うきのかつせんじよう

日本歴史地名大系 「浮野合戦場」の解説

浮野合戦場
うきのかつせんじよう

[現在地名]一宮市千秋町浮野

永禄元年(一五五八)五月、七月の二度、下四郡を領した清須きよす城主織田信長と上四郡を領した岩倉いわくら城主織田信安が岩倉・浮野で戦い、信長勢は犬山いぬやま城主織田信清軍一千騎を加えて三千余騎、信安勢も三千余騎であった(信長公記、信長記)。信長が勝利し、翌二年岩倉城を落し、尾張一国を領する契機となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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