日本歴史地名大系 「海応寺村」の解説 海応寺村かいおうじむら 広島県:山県郡豊平町海応寺村[現在地名]豊平町海応寺志路原(しじわら)村の北東に位置し、村内を東流する志路原川沿いに集落が開ける。東は舞綱(もうつな)(現千代田町)、南東は下石(しもいし)、南西は上石の諸村に接する。古くは「貝会寺村」「海翁寺村」と記されたが、正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」に海応寺村とあり、以後この表記が用いられた。村内に廃海応寺の寺跡がある(芸藩通志)。慶長六年(一六〇一)の検地で村高三〇石となったが、その後見取新開ができ、享保一四年(一七二九)の地詰により三〇・五五一石に決定。宝暦一〇年(一七六〇)より定免四・九八と決まり、それ以前は上り詰五・九五、下り詰四・五(国郡志下調書出帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by