豊平町
とよひらちよう
面積:一三〇・三七平方キロ
山県郡の中央東寄りに位置し、東は千代田、北は大朝、北西は芸北、西は戸河内、南西は加計の各町に囲まれ、南は広島市安佐北区。町面積の八五パーセントを山野が占め、東南の海見山(八七〇メートル)、西南の大丸峰(七七八・五メートル)、北東の加計山(七五二・四メートル)、北西の樋佐毛山(九五二メートル)・椎谷山(九五四・二メートル)など標高七〇〇―九〇〇メートルの山に囲まれるほか、町内中央部にも手毛首山(九一八・九メートル)・竜頭山(九二八・四メートル)などがそびえる。町内北方を東流して千代田町に入る志路原川は可愛川となって日本海に流れ、それ以外の諸河川はほぼ南流して太田川支流の丁川・西宗川となって、末は瀬戸内海に注ぐ。
豊平町
とよひらちよう
明治四一年(一九〇八)から昭和三六年(一九六一)までの町。明治四一年四月に豊平村が改称して成立。旧豊平村時代を継承し、豊平村・月寒村・平岸村の三大字を設置。同四三年四月に大字豊平村の一部を札幌区へ編入。同年役場を大字豊平村から同月寒村へ移転した。移転先の月寒地区は明治二九年に第七師団(のち歩兵第二五連隊)が設置されてからは軍都となり、市街が形成されて殷賑を極めていた。同四一年の市街戸数は五一六戸・人口二千六八三人を数えている(明治四三年「札幌支庁庁治一覧」)。
豊平町
とよひらちよう
[現在地名]豊平区豊平一条一―八丁目・同一〇―一三丁目・豊平二条一―八丁目・同一〇―一三丁目・豊平三条一―一三丁目・豊平四条一―三丁目・同五―一三丁目・豊平五条一―三丁目・同五―一一丁目・同一三丁目・豊平六条二―三丁目・同五―一〇丁目・豊平七条七―一〇丁目・同一三丁目・豊平八条八―一三丁目・豊平九条一三丁目・旭町一―七丁目・水車町一―八丁目
明治四三年(一九一〇)札幌郡豊平町大字豊平村の一部が札幌区(大正一一年から札幌市)に編入されて成立した町で、豊平川の東岸を占め、室蘭街道沿いに市街地が形成されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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