海田宿(読み)かいたしゆく

日本歴史地名大系 「海田宿」の解説

海田宿
かいたしゆく

[現在地名]海田町海田市

近世、山陽道の宿駅の一つで、海田市かいたいちにあった。「芸藩通志」に「海田駅 館庁あり、伝馬十五匹を設く、逓送東は賀茂郡西条駅に至る五里半、西は佐伯郡廿日市に至る五里余」とあり、広島までは二里とされた。御茶屋・脇本陣・人馬継所などの施設があり、御茶屋は現熊野くまの神社の西南にあって(文化元年「熊野神社絵図」頼沢瑠璃子氏蔵)、七七〇坪あったが(広島藩御覚書帖)、正徳二年(一七一二)の海田市差出帳(海田町役場蔵)では三反三畝二七歩(一千一七坪)とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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