海鼠瀬村(読み)このせむら

日本歴史地名大系 「海鼠瀬村」の解説

海鼠瀬村
このせむら

[現在地名]美津島町大船越おおふなこし コノセ

大船越村の北西にあたり、しま山との間にある。浦の岬に古い埋葬遺跡がある。「海東諸国紀」に「古老世浦五十余戸」とあるのが当地に比定される。永正一二年(一五一五)「大このせの内つきの木さゑ」「くき島」「しからき」「犬つか田」など八ヵ所が親父の譲状にまかせて小田宮内大輔に安堵された(同年九月一日「宗国親安堵状」与良郷宗家判物写)。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「このせ」とみえる。寛文二年(一六六二)検地帳では与良よら小野瀬このせ村として高六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android