淞郷堰(読み)しようごうぜき

日本歴史地名大系 「淞郷堰」の解説

淞郷堰
しようごうぜき

現南陽市の吉野よしの川・織機おりはた扇状地一帯は江戸時代から灌漑用水に恵まれず、旱魃に苦しんだ。とくに旧沖郷おきごう村は古くから用水路があったが水量不足であった。厨川くりやがわ堰は、天正六年(一五七八)吉野川が大洪水で流路を変えたため、従来の水路を用水堰としたという。また長瀞ながとろ村・法師柳ほうしやなぎ村の織機川堰は天正年中の工事と伝える。寛政七年(一七九五)米沢藩士黒井半四郎により黒井くろい堰が完成すると、鍋田なべた村に通じた堰を旧赤湯あかゆ方面と旧沖郷・梨郷りんごう方面の東西に分けて補水した。しかし南に傾斜する扇状地を逆に送水する計画には無理があり、天保四年(一八三三)通水は中止された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む