日本の城がわかる事典 「深大寺城」の解説 じんだいじじょう【深大寺城】 東京都調布市にあった平山城(ひらやまじろ)。733年(天平5)開山の古刹深大寺の向かい側の丘(多摩川の河岸段丘)に築かれていた。武蔵七党の狛江氏により築城されたとの伝承があるが、築城時期、築城者はわかっていない。1537年(天文6)年4月、扇谷上杉朝興は川越(河越)城(埼玉県川越市)で死去し朝定が跡を継いだが、朝定は北条氏に対する川越城の防衛拠点として、難波田広宗に深大寺城の整備を命じた。しかし、北条氏綱は深大寺城に付け城を築いてこれを封鎖、川越城との連携を絶って、直接川越城に攻め寄せた。朝定は城を出てこれを迎え撃ったが大敗して総崩れとなり、川越城を捨てて松山城に退却した。以後、川越城は北条氏の城となり、深大寺城は北条氏により徹底的に破壊され、廃城となった。深大寺城跡は現在、神代植物公園になっている。園内には曲輪(くるわ)、堀、土塁の遺構が残っている。京王線布田駅から徒歩約20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報