深年村
ふかどしむら
[現在地名]国富町深年
本庄村の北西に位置し、北西から南東に細長い村の中央部を後川、南部を深年川が東流する。「日向記」によれば、鎌倉時代末期頃伊東祐時・祐光の菩提寺として金剛密山祐光寺が建立され、深歳三〇町が寄進されたという。南北朝期には伊東貞祐の兄弟の祐範が深歳を姓としたと伝え、伊東氏の拠点の一つであった(「伊東氏大系図」宮崎県総合博物館蔵)。応永七年(一四〇〇)二月二四日の島津元久宛行状(樺山文書)によれば、島津元久は深歳の知行分を穆佐院倉岡名(現宮崎市)の森跡一〇町などとともに樺山氏に給分として安堵している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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