日本歴史地名大系 「深溝郷」の解説
深溝郷
ふかむぞごう
郷域は不明だが、中世史料にみえる「深溝南郷」「深溝北郷」の両郷域が、北は現佐賀郡
「肥前風土記」にはみえないが、風土記にいう
深溝の名は中世にも「深溝南郷」(安元二年六月日「河上宮現役所課神田坪付注文案」・建久七年二月日「僧賢秀田地寄進状案」・文保二年二月一〇日「河上宮免田坪々領主交名注文案」河上神社文書)、「深溝北郷」(文治二年八月四日「源頼朝下文案」高城寺文書)として残り正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には公田として「深溝北郷八十五丁一反二丈」「同南郷百七丁五反」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報