清原清定(読み)きよはらのきよさだ

朝日日本歴史人物事典 「清原清定」の解説

清原清定

生年生没年不詳
鎌倉前期の幕府公事奉行人,政所寄人。『尊卑分脈』は,実父を藤原時長の子孫の以邦,清原信定の養子とする。図書允,左衛門尉。京下りの文筆官僚とみられ,鎌倉幕府内での重要政務訴訟裁決さらには各種行事に精通した奉行人として活動していた。また右筆役となり,執筆の任を果たすことも多かった。建久5(1194)年には大庭景能,安達盛長と共に,鶴岡八幡宮担当の御願寺社奉行となる。建仁3(1203)年源実朝の征夷大将軍就任による政所始めには家司として参加。さらに武蔵・駿河などの大田文作成を命じられる。幕府評定衆の長定・満定は子息

(佐々木文昭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原清定」の解説

清原清定 きよはらの-きよさだ

?-? 鎌倉時代の幕府官僚。
清原満定(みつさだ)の父。図書允(ずしょのじょう),左衛門尉(さえもんのじょう)。幕府公事(くじ)奉行人,政所寄人(まんどころよりゅうど)となり,重要な政務や訴訟の判決にたずさわる。建久5年(1194)には大庭景義(おおば-かげよし)らとともに鶴岡八幡宮の御願寺社奉行をつとめた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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