日本歴史地名大系 「清右衛門新田」の解説 清右衛門新田せいえもんしんでん 埼玉県:草加市清右衛門新田[現在地名]草加市清門町(せいもんちよう)善兵衛(ぜんべえ)新田の北にあり、西は新兵衛(しんべえ)新田・原(はら)村。南西を伝右(でう)川が南流する。足立郡赤山(あかやま)領に属した。慶長(一五九六―一六一五)頃清右衛門・八郎右衛門・八左衛門などにより開発され、村名は最初の開発者清右衛門の名から付けられたという(以上「風土記稿」)。田園簿では田一九八石余・畑七石余、関東郡代伊奈忠治領。承応二年(一六五三)の忠治没後は伊奈忠克領となり、以後同領(寛政重修諸家譜)。延宝六年(一六七八)新田検地が執行され、高三二九石余のうち新田高一二三石余(享和四年「村明細帳」白石家文書)。寛政四年(一七九二)関東郡代伊奈忠尊領は収公され(「徳川実紀」同年三月九日条)、以後幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by