清後村(読み)せいごむら

日本歴史地名大系 「清後村」の解説

清後村
せいごむら

[現在地名]御殿場市清後

大堰おおせぎ村の西にある。村の南辺を馬伏まぶせ川、北辺を竜良たつら川が西から東へ流れ、集落本村むかい村・道下の三つに分れる。永禄一二年(一五六九)閏五月三日の伝北条家朱印状写(清水一岳氏所蔵文書)によれば、清水新七郎は北条家から葛山領の「清五郷」で一〇〇貫文などを与えられているが、一〇〇貫文という貫高には疑念が残る。慶長四年(一五九九)七月、横田村詮は「清後村百(姓)中」に宛てて郷中法度(土屋家文書、以下断りのない限り同文書)を下している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む