横田村詮(読み)よこたむらあき

改訂新版 世界大百科事典 「横田村詮」の意味・わかりやすい解説

横田村詮 (よこたむらあき)
生没年:?-1603(慶長8)

安土桃山時代武将内膳を称した。はじめ三好康長(笑巌)の家臣で,浪人していたのを中村一氏が招いたという。のち一氏の子,伯耆米子城主中村一忠の老臣となり,6000石を領した。1603年(慶長8)11月14日,一忠の手討ちになった。一族や遺臣たちは結束して村詮の邸にこもって頑強に抗戦したが,一忠は出雲富田城主堀尾忠氏の救援をうけてようやくこれを鎮圧した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の横田村詮の言及

【駿河国】より

…一氏の領国経営には富士川渡舟,新宿の取りたてなどの交通の整備があった。家老横田村詮が1599年(慶長4)領内に発布した法度は年貢,夫役,村切りなどについて詳細に規定し,地頭・給人の私的な百姓支配を禁じ,百姓保護,兵農分離を進めるものであった。またこの法度には,領国を駿府と沼津を中心とする市場圏によって掌握する意図がもりこまれており,当時駿河国の経済圏が富士川を境に東西に分かれていたことが知られる。…

※「横田村詮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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