日本歴史地名大系 「御殿場市」の解説 御殿場市ごてんばし 面積:一九四・六三平方キロ静岡県の北東部に位置し、北は駿東(すんとう)郡小山(おやま)町、南は裾野市、西は同市と富士市、東は神奈川県足柄下郡箱根(あしがらしもぐんはこね)町と接する。市域は広大で、西の富士山頂(三七七五・六メートル)付近から、東の箱根外輪山丸(まる)岳(一一五四メートル)の稜線まで展開するが、三分の一を東富士(ひがしふじ)演習場が占め、高低差も標高二六〇メートル前後の神山(こうやま)地区から富士山頂付近までと大きい。南西―北東方向にJR御殿場線が走り、ほぼ鉄路に沿って東名高速道路が通過する。東流する鮎沢(あゆざわ)川はのち酒匂(さかわ)川となって相模湾に、南流する黄瀬(きせ)川はのち狩野(かの)川と合流して駿河湾に注いでいる。市名は江戸時代の御殿場村を継承する。〔原始・古代〕市域では富士山の噴火による被害が数多く記録されているが、噴火による降灰や溶岩流だけでなく、堆積した土砂が時には泥流となって大地を埋尽すこともあり、弥生時代初頭の大きな泥流はよく知られている。永尾(ながお)遺跡や秩父宮別邸内遺跡などは、むしろ奇跡的に残った弥生時代の遺跡といえる。こうした火山活動によって遺跡などが地中深く埋められてしまうのは縄文時代も同じであり、昭和三〇年代に発見された東山(ひがしやま)湖上の山(やま)の神(かみ)遺跡も地中数メートルに埋もれていた。富士山の噴火やその後の泥流がおそらく当地域の遺跡の発見を困難にしていると思われる。古代の律令制下では駿河郡域に属したと考えられ、同郡の古家(ふるいえ)郷・横走(よこはしり)郷(和名抄)が市域に所在したとする説がある。横走郷内には東海道の横走駅・横走関が置かれていたが(「三代実録」「更級日記」など)、横走駅は駅馬二〇疋を有する大駅で、加古(かご)坂(籠坂)越で甲州に至る甲斐路、足柄峠越で相州に至る足柄路の分岐点に位置したと推定されている。当時の交通路を想定すれば、市域にあったとみるのが有力と思われるものの、遺跡などは発見されていない。平安時代後期には伊勢神宮領の大沼鮎沢(おおぬまあゆざわ)御厨が成立する。のちに現在の御殿場市・小山町や裾野市の一部を含む一帯を総称して御厨(みくりや)の地名が用いられるが、この地名は同御厨に由来すると考えられる。〔中世〕大沼鮎沢御厨の開発と支配に深くかかわったのは現裾野市東辺の大森(おおもり)を名字の地とする大森氏であった。久安二年(一一四六)に信濃権守に任じられた大森親康の系統から大沼(おおぬま)・神山・沓間(くつま)・藍沢(あいざわ)、菅沼(すがぬま)(現小山町)など、市域や周辺の地名を名字とする一族が輩出している。御厨として開発された一部地域を除く現御殿場市域やその周辺は、藍沢原とよばれる広大な原野であったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御殿場市」の意味・わかりやすい解説 御殿場〔市〕ごてんば 静岡県東部,富士山東麓にある市。 1955年御殿場町と富士岡,原里,玉穂,印野の4村が合体して市制。 56年高根村を編入。富士山の東斜面と箱根外輪山の西斜面を占める。丹那トンネル開通前は東海道本線の主要駅であったが,その後は富士登山口の一つとして知られる。第2次世界大戦後,駐留軍東富士基地,次いで自衛隊の駐屯地となった。 69年東名高速道路の御殿場インターチェンジが開設され,70年表富士周遊道路も開通し,高原の観光都市として発展。別荘,スキー場,ゴルフ場,自然科学館,高山植物園などの施設や駒門風穴,印野溶岩隧道 (ともに天然記念物) がある。また工業化も進み,自動車,精密機械,紙器,印刷,家具などの工場が進出。市域の大半は富士の裾野で火山灰土壌と高冷地気候のため農業には不適。富士芝は特産。市域の一部は富士箱根伊豆国立公園に属する。 JR御殿場線,国道 138号線,246号線が通る。面積 194.90km2。人口 8万6614(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by