清水尻(読み)しみずがしり

日本歴史地名大系 「清水尻」の解説

清水尻
しみずがしり

伊川上(いかわかみ)庄開発(かいほつ)村に属した字名(正安元年一一月日「地頭代官僧某田地寄進状写」・永仁六年二月日「地頭代官僧某田地宛行状」太山寺文書)。「しミつかしり」と訓じた(正中元年一二月一三日「深草殿女房奉書写」同文書)。建暦元年(一二一一)一一月一九日、僧弁西は相伝所領である字清水尻の一段三〇代を玄鏡房に永代売却している。承久の乱後入部した地頭代の中原・藤原両氏は、貞応二年(一二二三)一〇月四日、新田一町(当作四〇代、又新田荒野など)を太山(たいさん)寺薬師如来に寄進した。永仁六年(一二九八)二月先祖成末が売却した田地が前年の三月六日の関東御新制(徳政令)により沙弥常念に返付された(前掲地頭代官僧某田地宛行状)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 徳政令 前者 荒野

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む