日本歴史地名大系 「清源寺村」の解説 清源寺村せいげんじむら 熊本県:玉名郡長洲町清源寺村[現在地名]長洲町清源寺南西は有明海に面し、西部を菜切(なきり)川が南流、東は腹赤(はらか)村、北は塩屋(しおや)村、南は上沖洲(かみおきのす)村、西は平原(ひらばる)村と接する。村名は往昔にあった禅刹の清源寺に由来し、同寺はのちに高瀬(たかせ)町(現玉名市)に移ったという(国誌)。近世は荒尾手永に属する。寛永(一六二四―四四)頃に四枚帆船一を有し、水夫四がいる(「肥後領高人畜家数船数調」永青文庫蔵)。慶安―延宝期(一六四八―八一)の肥後国絵図(県立図書館蔵)に村名はなく「清源寺浦」とみえ、遠見番所が記される。延宝末頃と推定される「郡談集要」(永青文庫蔵)によると、番所には鉄砲二・鎗二を備えていた。元禄国絵図には「原賀村之内清源寺村」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by