渡瀬寅次郎(読み)ワタセ トラジロウ

20世紀日本人名事典 「渡瀬寅次郎」の解説

渡瀬 寅次郎
ワタセ トラジロウ

明治・大正期の教育家 関東学院初代院長。



生年
安政6年6月25日(1859年)

没年
大正5(1916)年11月8日

出生地
江戸

学歴〔年〕
札幌農学校〔明治13年〕卒

経歴
明治9年札幌農学校に入学、クラーク博士による「イエスを信ずる者の契約」に署名し、10年受洗。13年農学校卒業後、開拓使御用掛として勤務。15年内村鑑三らと札幌基督教会(札幌独立基督教会)を設立。のち、E.W.クレメントの勧めで東京中学院(関東学院)の初代院長に就任少数精鋭主義人格教育をめざした。また、千葉県八住村の松戸覚之助のつくった梨“新太白”を“二十世紀梨”と命名したことで知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「渡瀬寅次郎」の解説

渡瀬寅次郎

没年:大正15.11.8(1926)
生年:安政6.6.25(1859.7.24)
明治期の教育家。関東学院初代院長。東京生まれ。明治9(1876)年札幌農学校に入学し,W.S.クラークによる「イエスを信ずる者の契約」に署名。翌10年メソジスト教会宣教師M.C.ハリスから受洗。同13年札幌農学校卒業後は開拓使御用掛として勤務。同15年内村鑑三らと札幌基督教会(札幌独立基督教会)を設立する。同18年水戸中学校校長に招かれるが間もなく辞職。このときに時出会ったE.W.クレメントの勧めで東京中学院(関東学院)の初代院長に就任する。少数精鋭主義の人格主義教育をめざした。<参考文献>渡瀬昌勝『渡瀬寅次郎伝』

(篠崎恭久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡瀬寅次郎」の解説

渡瀬寅次郎 わたせ-とらじろう

1859-1926 明治-大正時代教育者
安政6年6月25日生まれ。M.C.ハリスから受洗。開拓使に勤務し,明治15年札幌基督(キリスト)教会(現札幌独立基督教会)の会員となる。のち水戸中学校長,茨城師範校長などをつとめ,28年東京中学院(現関東学院)の初代院長となった。大正15年11月8日死去。68歳。江戸出身。札幌農学校(現北大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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