日本歴史地名大系 「渡良浦」の解説 渡良浦わたらうら 長崎県:壱岐郡郷ノ浦町渡浦村渡良浦[現在地名]郷ノ浦町渡良浦渡浦(わたら)村の南部にあり、壱岐八浦の一つ。綿浦とも記され、宮(みや)浦とも称する。隣接して小崎(こざき)浦・神田(かみだ)浦がある。平戸藩浦掛の支配で、在方の本村渡浦村とは別に扱われる場合が多い。西部に本綿(もとわた)浦があり、西触の田頭(にしふれのたのかしら)に千戸の町屋があった頃、大藤十良左衛門という長者が大小の船を造り、日本や唐と商売を行っていたが、初めて唐から綿を将来したので綿浦の名があるという。朝鮮王朝の通信正使黄慎の「日本往還記」に「一岐島の綿羅」とみえ、万暦二四年(一五九六)一〇月一三日朝に肥前名護屋(なごや)(現佐賀県鎮西町)を出て昼に「一岐島の綿羅」に渡り、「倭に言ふ臥多羅に到泊」している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by