日本歴史地名大系 「港川村」の解説 港川村んなとうぐわーむら 沖縄県:沖縄島南部具志頭村港川村[現在地名]具志頭村港川(みなとがわ)・長毛(ながもう)具志頭(ぐしちやん)間切の東端にあり、南流する雄樋(ゆーひ)川を境に東は玉城(たまぐすく)間切志堅原(しちんばる)村(現玉城村)、南は太平洋に面する。ンナトゥグヮー村とよぶ。糸満漁民が定住して始まった集落で、明治二年(一八六九)の平等所裁判記録に「港屋取」とみえるのが早い。事件の被害者である玉城は兼城(かにぐすく)間切糸満(いちまん)村の漁民であるが、港屋取のイリ門小(イリジョウグヮ)の家を借りて住んでいた。一八八〇年一〇月二一日の県令第三六号(県令達類纂)により具志頭(ぐしちやん)村から字下港(シチャンナトゥ)・字上港(ウィーンナトゥ)・字トーカマ・字長毛(ながもー)・字グモイを分離して港川村が設立された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by