港川(読み)んなとうがー

日本歴史地名大系 「港川」の解説

港川
んなとうがー

[現在地名]浦添市港川・港川一―二丁目・城間四丁目

近世の城間ぐすくま村北部に成立した屋取集落。北は海に面し、東は牧湊まちなとう村、南東伊祖いーず村。ンナトゥガーとよぶ。城間ぐすくま(現シリン川)流域下港川しちやんなとうがー銘苅めーかり屋取を中心とし、伊祖村寄りの上港川ういーんなとうがー天久あみく屋取と称する。上港川・下港川を分断するように国頭と結ぶ街道(通称国頭街道)が東西に走る。康熙二六年(一六八七)に首里士族向氏支流の伊江按司家が湊川(港川)の潟を開墾している(「無銘書厨子由来記」伊江家文書)。道光元年(一八二一)には兼嶋筑登之親雲上兼栄(葉常新)湊原みなとばる(港川原)仕明地の高地面の測量を実施した(葉姓小宗名渡山家家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の港川の言及

【具志頭[村]】より

…第2次世界大戦前は農業と漁業が中心の村で,ハワイ,南アメリカなどへの海外移民が多かった。東部の港川は糸満漁民が移住してつくった集落で,村唯一の漁港として現在も漁業が盛んである。農業はサトウキビ,野菜,花卉栽培が行われ,また乳用牛,豚などの畜産が盛んである。…

※「港川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」