日本歴史地名大系 「湯島天神下宝性院門前」の解説 湯島天神下宝性院門前ゆしまてんじんしたほうしよういんもんぜん 東京都:文京区旧本郷区地区湯島天神下宝性院門前[現在地名]文京区湯島(ゆしま)三丁目湯島天神の南東方に位置し、南を湯島中(なか)坂から一本南の通りに、東を備中庭瀬藩板倉家上屋敷から南に下り、下野黒羽藩大関家上屋敷前などを抜ける通りに画される。北は下妻氏の屋敷、南は旗本松平采女の屋敷、東は伊勢亀山藩石川家上屋敷、西は旗本松平喜内の屋敷と周囲はすべて武家屋敷に囲まれていた。もとは湯島郷のうちという(御府内備考)。のち小普請方手代大縄地などになったが(沿革図書)、正徳年間(一七一一―一六)宝性院が拝借を願出て、安永四年(一七七五)から一〇年季で町屋取立てを認められ、その後、更新を繰返している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報