湯島天神社地門前(読み)ゆしまてんじんしやちもんぜん

日本歴史地名大系 「湯島天神社地門前」の解説

湯島天神社地門前
ゆしまてんじんしやちもんぜん

[現在地名]文京区湯島ゆしま二―三丁目

湯島天神社境内地に成立した門前町屋。町屋は境内の南東部・北西部、および湯島天神門前の一画に割込むような形で南西方に離れた一ヵ所の計三ヵ所に分れていた。南東地区は南が別当喜見きけん院境内、東は湯島天神門前ゆしまてんじんもんまえ町、北西地区の北から西は根生こんしよう院境内や山崎八三郎の屋敷など、南西地区は、北と南と東を湯島天神門前町に囲まれ、西は旗本深谷遠江守の屋敷などであった。宝永元年(一七〇四)に町屋を許され、延享二年(一七四五)町奉行所の支配となった(御府内備考)。文政町方書上によれば、南東地区は南北間口が田舎間で一二間、東西は同六間、総坪数七二坪。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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