源平の争乱(読み)げんぺいのそうらん

旺文社日本史事典 三訂版 「源平の争乱」の解説

源平の争乱
げんぺいのそうらん

平安末期,源・平両氏の政権争いの戦乱
1156年の保元の乱,'59年の平治の乱で源氏は勢力を失い,平氏政権が成立した。ついで1180〜85年にかけて,治承・寿永の乱が展開された。以仁王 (もちひとおう) ・源頼政挙兵に始まり,源頼朝の挙兵と富士川の戦い('80),源義仲の挙兵と砺波山 (となみやま) の戦い('83)などを経て義仲がまず入京し,平氏は西国に都落ちした。しかし義仲は源義経・範頼 (のりより) により征討され(宇治川の合戦など),のち源平両軍による決戦が瀬戸内海沿岸にくりひろげられた。一の谷・屋島・壇の浦の諸戦でついに平氏は滅亡し,鎌倉幕府の成立によってこの戦乱は終わった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

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