源済子(読み)みなもとの さいし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源済子」の解説

源済子 みなもとの-さいし

?-? 平安時代前期,文徳天皇皇女
源姓をあたえられ,臣籍にはいる。貞観(じょうがん)9年(867)清和天皇女御(にょうご)となる。従四位上。天皇譲位ののち,元慶(がんぎょう)3年(879)退下。父母追善菩薩(ぼさつ)像をえがき,そのときの菅原道真作の願文が「菅家文草」にみえる。名は「なりこ」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「源済子」の解説

源済子

生年生没年不詳
平安前期,清和天皇の女御。文徳天皇の皇女。貞観9(867)年8月女御,翌10年1月従四位上となる。清和天皇譲位ののち元慶3(879)年退下。仁和2(886)年外祖母多治氏の七十七日追善を修し,また亡父母のために菩薩像を描いた。その際,菅原道真が草した願文が『菅家文草』に残る。

(服藤早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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