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文徳天皇 もんとくてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

文徳天皇
もんとくてんのう

[生]天長4(827).京都
[没]天安2(858).8.27. 京都
第 55代の天皇 (在位 850~858) 。仁明天皇の第1皇子。母は太政大臣藤原冬嗣の娘順子。名,道康。嘉祥3 (850) 年即位したが,政治は太政大臣藤原良房によって行われた。その治世中は藤原氏の勢力が大いに伸張した。陵墓は京都市右京区太秦三尾町の田邑陵。なお天皇一代の実録を『日本文徳天皇実録』という。

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デジタル大辞泉の解説

もんとく‐てんのう〔‐テンワウ〕【文徳天皇】

[827~858]第55代天皇。在位850~858。仁明天皇の第1皇子。名は道康。在位中の政治は藤原良房が行った。

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百科事典マイペディアの解説

文徳天皇【もんとくてんのう】

仁明(にんみょう)天皇皇子。名は道康。母は藤原良房の妹順子。承和(じょうわ)の変で廃された恒貞(つねさだ)親王にかわって皇太子に立ち,850年父帝の病死により即位。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

文徳天皇 もんとくてんのう

827-858 平安時代前期,第55代天皇。在位850-858。
天長4年8月生まれ。仁明(にんみょう)天皇の第1皇子。母は藤原順子承和(じょうわ)の変(842)後,恒貞(つねさだ)親王にかわって皇太子となり,嘉祥(かしょう)3年父帝の死で即位。政治の実権は,皇后明子の父藤原良房(よしふさ)ににぎられた。天安2年8月27日死去。32歳。墓所は田邑陵(たむらのみささぎ)(京都市右京区)。別名は道康親王,田邑(田村)帝。

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朝日日本歴史人物事典の解説

文徳天皇

没年:天安2.8.27(858.10.7)
生年:天長4(827)
平安前期の天皇。仁明天皇と藤原冬嗣の娘順子の子。名は道康。承和9(842)年8月,藤原良房の画策によって皇太子となったこと(承和の変)で良房に対する遠慮は生涯つきまとった。嘉祥3(850)年4月,父の死去によって即位したあと,第1皇子(紀名虎の娘静子との間に生まれた惟喬親王,7歳)をさしおき,良房の娘明子の生んだ第4皇子惟仁親王(のちの清和天皇)を生後8カ月で皇太子に立てたごときは,その典型。人を見る目と政治に対する熱意は持っていたが,病気がちのため,多くの重要な政務に関与できず,良房の権力基盤を強める結果となった。良房を太政大臣に任じた翌年に没した。墓(田邑陵)は右京区の門徳池の東にある円墳がそれという。父仁明の亡くなった清涼殿を解体して,深草の陵墓のかたわらに移して嘉祥堂となし,清涼殿を新たに造営したことは,宮城内遷宮の故実を示すものとして注目される。

(瀧浪貞子)

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世界大百科事典 第2版の解説

もんとくてんのう【文徳天皇】

827‐858(天長4‐天安2)
第55代に数えられる平安前期の天皇。在位850‐858年。名は道康。仁明天皇を父とし,藤原冬嗣の女順子を母として生まれた。842年(承和9),嵯峨上皇の死を機として起こった承和の変によって皇太子恒貞親王が廃されたため,皇太子に立てられ,850年(嘉祥3)父仁明天皇の病死により位を譲られ即位した。しかし,藤原良房の強大な政治力によって,ほとんど天皇親政を行うことができず,その皇太子も,長子惟喬(これたか)親王の才能を愛したにもかかわらず,良房女明子の生んだ惟仁(これひと)親王(のち清和天皇)を立てざるをえなかった。

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大辞林 第三版の解説

もんとくてんのう【文徳天皇】

827~858) 第五五代天皇(在位850~858)。名は道康みちやす。仁明天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣の女むすめ順子。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文徳天皇
もんとくてんのう
(827―858)

第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり、即位後は次の皇太子に紀名虎(きのなとら)の娘静子の産んだ第一皇子の惟喬(これたか)親王をたてようとしたが、藤原氏の反対にあい、惟仁(これひと)親王(後の清和(せいわ)天皇)をたてた。天皇は巡幸遊覧を好まず政治に励み、また『続(しょく)日本後紀』の編纂(へんさん)を開始したが、病弱で万機を廃することが多く、政治の実権は藤原良房(よしふさ)にゆだね32歳で崩御。陵墓は京都市右京区太秦(うずまさ)の田邑(たむら)陵。天皇一代の歴史を編年体で記した『日本文徳天皇実録』10巻(879完成)がある。[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代』(1959・東京大学出版会) ▽佐伯有清著『伴善男』(1970・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の文徳天皇の言及

【続日本後紀】より

…仁明天皇1代,833年(天長10)から850年(嘉祥3)にいたる18年間の歴史を記す。文徳天皇の命により,藤原良房,春澄善縄らが編纂にあたり,清和天皇の869年(貞観11)に完成奏上。以前の国史の体裁を追いながらも,天皇1代の実録としての性格を強めており,記事詳密,体裁も整備されている。…

※「文徳天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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