源雅亮
生年:生没年不詳
平安末期の装束家。醍醐源氏。甲斐守源雅職の子。大舎人助より右近衛府の 将監,皇后宮少進 を経て伊賀守となる。従五位下。藤原頼長の妻の乳母の養子であった縁で,頼長や妻幸子の家司,また頼長の推挙により鳥羽院の判官代にもなる。のちに斎宮惇子内親王の家司。父が装束師であったことから,頼長家で次男師長の束帯の着付け,五節の童女の着付けなどを行う。童殿上する際の髪形である総角の結い方を藤原実能より学び,頼長3男隆長の総角を結った。承安年間ころはこの雅亮以外に総角を結える者が少なかった。今様のたしなみもあり,承安4(1174)年の『後白河院今様合』に名が見える。<著作>『満佐須計装束抄』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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源雅亮 みなもとの-まさすけ
?-? 平安時代後期の官吏,有職(ゆうそく)家。
醍醐(だいご)源氏。源雅職の子。藤原頼長に近侍した。有職書「雅亮(満佐須計)装束抄」をのこす。皇后宮少進をへて仁安(にんあん)4年(1169)伊賀守(いがのかみ)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の源雅亮の言及
【包み】より
…この時代には,《雅亮(まさすけ)(満佐須計)装束抄》《宗五大艸紙》《今川大双紙》などの故実書に〈包み〉に関する記述がみられる。《雅亮装束抄》は平安末期の人である源雅亮が著した公家故実書だが,〈包み〉の技法についての詳細な記述を含み,文(ふみ)の包み方,名香の包み方,童(わらべ)の装束,束帯の包み方などが記されている。ただし,そこで用いられるものは紙ではなく,すべて布地である点は注目すべきであろう。…
※「源雅亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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