漆原組町(読み)うるしはらくみまち

日本歴史地名大系 「漆原組町」の解説

漆原組町
うるしはらくみまち

[現在地名]会津若松市錦町にしきまち城西町じようさいまち

みなみ西横にしよこ町の西に南北の通りが六条あり、南端東西の通りはふる川に接し、この通りをすべて漆原と称した。昔この地の川辺には漆の木が多かったための町名。文禄元年(一五九二)蒲生氏郷が町割を定めたとき、歩卒の住居と定め、化政期にも足軽や同心が住んだ。漆原一番丁は、北はたて町より南は古川の岸まで、長さ一町三二間・幅九尺、家数三一。同二番丁は一番丁の西に並び、長さ一町三三間・幅九尺、家数三二。同三番丁は二番丁の西に並び、長さ一町三三間・幅九尺、家数三一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む