日本歴史地名大系 「南町分」の解説 南町分みなみまちぶん 福島県:会津若松市若松城下南町分[現在地名]会津若松市錦町(にしきまち)・明和町(めいわまち)・館馬町(たてうままち)・門田町(もんでんまち)年貢町(ねんぐまち)など東は北青木(きたあおき)村・南青木村、西は材木町(ざいもくまち)分、南は井手(いで)村・中野(なかの)村、北は若松城下の南町に接する若松町分の一つで、東黒川(ひがしくろかわ)に属する。古(ふる)川が東より北西へ流れて湯(ゆ)川に合流する。南町分の大部分は古川南岸にある。古川左岸に館跡があり、允殿(じようどの)館と称する。「会津古塁記」には宝徳三年(一四五一)松本右馬允が築いたとある。「塔寺長帳」明応七年(一四九八)条に「五月廿六日松本豊前守、同名右馬允宿所而生涯、翌日廿七日管領丹後守子息大学頭、同小四郎兄弟打死、侍ニ四郎さへもん弁阿闍梨是人番十三人同六月十六日右馬允依態怠、皆勢ヲ下生涯仕畢、父子兄弟三人番十四人手負打死数不知候」とあり、多くの人がこの館で討死している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by