火葬寺跡(読み)かそうでらあと

日本歴史地名大系 「火葬寺跡」の解説

火葬寺跡
かそうでらあと

[現在地名]荒川区南千住五丁目

寛文七年(一六六七)日光道中と下谷したや通の合流点南方に設置された火葬のための場所。桐ヶ谷きりがや(現品川区)、渋谷、炮録ほうろく新田(現江東区)などと並ぶ代表的な火葬場の一で、小塚原こつかつぱらの火葬場は広さ一町四方ほど、周囲には堀が巡らされ、東西に通路が貫き、通路の北側に八ヵ寺、南側に一〇ヵ寺の火葬寺が並んでいた(「小塚原村絵図」荒川区教育委員会蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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