煤ヶ谷村(読み)すすがやむら

日本歴史地名大系 「煤ヶ谷村」の解説

煤ヶ谷村
すすがやむら

[現在地名]清川村煤ヶ谷

みや村の南にあり、東から南は上荻野かみおぎの村・飯山いいやま村・上古沢かみふるさわ村・七沢ななさわ(現厚木市)、南の一部は大住おおすみ(現秦野市)に接する。山村で、集落の大部分は東部を東南流する小鮎こあゆ川とその支流域に集まっている。小鮎川に並行して、津久井伊勢原つくいいせばら道が北から南へ通じ、村中南部の御所垣戸ごじよがいとで東岐する道は厚木村に至る。西部に広大な丹沢たんざわの山々が連なり、とうノ岳(一四九〇・九メートル)が西の境となっている。

小田原衆所領役帳に板倉修理亮「拾五貫文 中郡煤ケ谷領家方下古沢共ニ」「六拾三貫三百八十文 同所癸卯検地増分」、井上加賀守「六拾五貫七百五拾文 煤ケ谷地頭方古沢共」、井上雅楽助「拾弐貫七百五拾文 煤ケ谷地頭方」とある。天正元年(一五七三)・同五年・同一一年御用炭を小田原北条氏に納め、天正七年・同一六年には用材を納める(いずれも「北条家伝馬手形」県史三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報