日本歴史地名大系 「熊党村」の解説 熊党村くまんとうむら 鳥取県:米子市熊党村[現在地名]米子市熊党浦木(うらき)村の北にあり、北は日吉津(ひえづ)村(現日吉津村)。天正一九年(一五九一)一二月二〇日の伊勢大神宮神田注文(蚊屋島神社文書)には、大神宮(現日吉津村蚊屋島神社)神田作人として「くまノ当ノ甚五郎」などの名がみえる。村名は熊ノ藤とも(天保一五年「蚊屋島神社社帳」同文書)、熊堂とも記され(伯耆志)、正保国絵図では熊藤村とみえる。古代末期能登国から信濃国を経て出雲国簸川(ひかわ)郡塩冶(えんや)(現島根県出雲市)に移った熊ノ藤五郎左衛門が、さらに会見(あいみ)郡山市場(やまいちば)へと移り、戦いに敗れたのち一七名が当地に逃れて土着、村名を熊藤と改めたと伝える(「樋口藤原家伝承記」能登路家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by