片田岡村(読み)かたたおかむら

日本歴史地名大系 「片田岡村」の解説

片田岡村
かたたおかむら

[現在地名]木造町はやし

南西はやし村、田圃を隔てて東に生田いくた村、北に堅固けんご村。

貞享元年(一六八四)の開村という(西津軽郡史)。享保一二年(一七二七)木造新田に属し、木造通三五ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一九町三反三畝歩、村高一〇〇・八九四石とある。うち田方一八町六反七畝九歩で九六・九四九石、上田下々田のみで、下々田が一八町七畝一六歩、九〇・三七四石とあり、畑方は面積に大差のない上畑と下々畑だけで、両者と屋敷地を含めて六反五畝二一歩、三・九四五石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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