日本歴史地名大系 「牛屋条」の解説 牛屋条うしやじよう 新潟県:岩船郡神林村牛屋条小泉(こいずみ)庄加納(かのう)方の南端にあり、ほぼ現神林村南部にあたる。松沢(まつざわ)・宿田(やずた)・牛屋などを含み、北は色部(いろべ)条に接し、南は荒(あら)川、東は朴坂(ほおざか)山、西は日本海に至る。建長六年(一二五四)一一月八日、「小泉庄加納内色部牛屋除舎弟并孫子等、粟島」の地頭職が色部為長から子公長へ譲られた(同七年三月二七日付「将軍家(宗尊親王)政所下文」色部氏文書)。この頃公長と荒河(あらかわ)保地頭荒河景秀とが牛屋条と荒河保の境をめぐって争っている。公長は牛屋条の南境は荒川であるとし、仁平三年(一一五三)の立券状では「東限甕坂、但大山南限千松出路」、保元(一一五六―五九)の立券状では「押境枯松出路」、東境は「自菟牟礼至鱒沢」と決められているが、南境は河流が北へ変化して牛屋条にくい込んだと主張している。また下流の境は二児塚であったが、これも河崩れで没してしまったという。景秀側は荒川の流れは三代相伝の知行地で、古河跡も新河流も荒河保に属すると主張。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by