牛王地社跡(読み)ごおうじしやあと

日本歴史地名大系 「牛王地社跡」の解説

牛王地社跡
ごおうじしやあと

[現在地名]東山区上弁天町

かつて下河原町しもかわらまち通、菊水きくすい橋のたもとにあった小祠。「坊目誌」は、上弁天町に関連して「下河原菊渓の北、当町の側に道路の西頬南面に小祠あり。之をちまたの やしろと云ふ。又牛王地とも。明治維新後廃せらる。今に一株の樹木、道路中に存するは此遺址なり」と記し「中古、此地に五輪の石造塔婆ありしと。或云、之れ祇園の蹟なりとも」と書いている。

山城名跡巡行志(宝暦四年成立)には「牛王地社(中略)一名巷社。此所、祇園ノ神、最初鎮座ノ所也」とある。「都名所図会」(安永九年刊)は挿図に下河原界隈の景観を写し、そのなかに「牛王地社」の小祠を描込み、本文にも「牛王地社ハ下河原の南にあり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む