下河原町(読み)しもかわらちよう

日本歴史地名大系 「下河原町」の解説

下河原町
しもかわらちよう

東山区下河原町通八坂鳥居前下ル

下河原町通の東側に位置。現在は高台こうだい寺寺域及び旧高台寺門前町を含むが、本来は、東は高台境内、南は高台寺門前町、西は道を隔てて清井きよい町・上弁天かみべんてん町・月見つきみ町に面する区域。

「坊目誌」は「慶長十年寺地(高台寺)を除く外、咸町地と為る」「慶長十年、高台寺創建に際し町名と為し、同寺の封内に属す。町年貢則ち地租を同寺に収納す。但し此町に青蓮院の所有越石おつせきあり。越石とは境内を去る他の領地中に相雑る者を云ふ」と記し、町の成立を高台寺創建の時点に求めるが、典拠は明らかでない。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図には「下河原」の記入はあるものの、町並らしい描写はない。しかし寛文二年(一六六二)新板平安城東西南北町並洛外之図には、下河原町の呼称はみえないが、明瞭に下河原町通東側に町並の所在がうかがえる。


下河原町
しもかわらまち

[現在地名]篠山市河原町 下河原町

上河原町の西に位置する。篠山城下一一ヵ町の一つ。慶長一七年(一六一二)八上やかみから曹洞宗観音寺を移したと伝える。正保笹山城絵図(内閣文庫蔵)では下川原町として一町五八間とある。正徳年間(一七一一―一六)の高付帳(多紀郷土史考)によれば、南側は一四四間二尺余、北側は一五四間二尺余の両側町で、御門番所があり、家数七二のうち役家三七(町代二)、五人組は一三組で、観音寺が記される。安永七年(一七七八)地内の石田屋から出火があったという(多紀郷土史考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android