日本大百科全書(ニッポニカ) 「牡丹文」の意味・わかりやすい解説
牡丹文
ぼたんもん
中国では古くからボタンを「花王」と称し、富貴の象徴とした。日本には奈良時代に中国唐より伝えられたといわれ、模様としても使用されるようになったが、宝相華(ほうそうげ)文の優勢の陰に隠れて、牡丹文と宝相華文を明確に区別づけることはできない。平安時代後期に入ると、牡丹文はその特徴を示し始め、蝶(ちょう)、鳥、唐草と結び付き各種の工芸意匠に現れてくる。鎌倉時代には宋元の影響を受け、牡丹文が盛行し、写生風な形式が成立した。また、牡丹唐草、牡丹に蝶のほかに、牡丹唐獅子(からじし)の組合せ模様が出てくるのも、鎌倉時代になってからである。近世以後は、木彫、漆工、金工、染織、陶磁など、あらゆる工芸部門でもっとも使用頻度の高い模様となり、また上は公家(くげ)の装束、下は庶民の型染めや絣(かすり)の模様として、幅広い階層の人々に愛好された。
[村元雄]