日本歴史地名大系 「牧庄」の解説 牧庄まきのしよう 山梨県:東山梨郡牧庄現牧丘(まきおか)町から現山梨市北部・塩山市北西部および現三富(みとみ)村一帯に比定される。馬木庄とも書き、高橋(たかはし)庄ともよばれた(建武二年正月二五日「後醍醐天皇綸旨」臨川寺文書など)。貞和五年(一三四九)改鋳の塩山市放光(ほうこう)寺梵鐘に初鋳銘として「甲斐国牧庄法光寺 奉鋳施鐘一口 建久二年辛亥八月廿七日 従五位下遠江守源朝臣義定」とあり、成立時期は平安末期までさかのぼる。寄進者義定は同寺開基で、甲斐へ土着した甲斐源氏の祖義清の四男。安田(やすだ)郷(現山梨市)に拠って安田氏を称し、牧庄の在地領主でもあった。庄内地名としては中牧(なかまき)郷(現牧丘町)・ミミンドウ(大御堂、現山梨市窪八幡神社裏)があり、放光寺・恵林(えりん)寺(現塩山市)、浄居(じようこ)寺・宝珠(ほうしゆ)寺・中牧神社(現牧丘町)も庄内に所在するから、庄域は現山梨市北部から以北の笛吹川上流域一帯であった。さらに高橋庄には現塩山市竹森(たけもり)が含まれ(野尻倹之助氏蔵大般若経奥書)、また現敷島(しきしま)町の羅漢(らかん)寺が所蔵する阿弥陀如来像の応永三〇年(一四二三)の銘文中にみえる「御牧荘」が当庄を意味するとすれば、現甲府市北部から鶏冠(けいかん)山麓に至る広大な山岳地帯を含む大庄園だったことになろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by