犢橋村(読み)こてはしむら

日本歴史地名大系 「犢橋村」の解説

犢橋村
こてはしむら

[現在地名]花見川区犢橋町・さつきが丘さつきがおか

花島はなしま村の南にある。東金御成とうがねおなり街道の継立場。「本土寺過去帳」に「妙祐尼 金妙日息女 文明六コテハシ」とある。慶長一九年(一六一四)東金御成街道覚帳に村名がみえ、高七三〇石、三町三〇間の道普請を負担。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高七〇六石余。元禄郷帳では「コデイバシ」の訓を付す。元和五年(一六一九)から三二石余が江戸南町・北町両奉行与力給知で(「元禄年中地頭所取扱村々記」小倉家文書)、宝暦一二年(一七六二)南町奉行与力給知となり(「町奉行与力給知両総村高石高割帳」飯高家文書)幕末まで変わらない。その余は寛文元年(一六六一)から佐倉藩領、元禄一三年当時は旗本小栗領と幕府領、天保一四年(一八四三)には小栗領一九〇石余・吉田領四六六石余と幕府領四三石余となり(町野家文書)、幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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