藤崎(読み)ふじさき

改訂新版 世界大百科事典 「藤崎」の意味・わかりやすい解説

藤崎[町] (ふじさき)

青森県中部,南津軽郡の町。2005年3月旧藤崎町と常盤(ときわ)村が合体して成立した。人口1万6021(2010)。

藤崎町東部の旧村。南津軽郡所属。人口6531(2000)。津軽平野南東部,岩木川支流の十川,浪岡川などの沖積地からなる。地力は豊かで,奥羽山脈にさえぎられて夏の偏東風(やませ)の影響も少ないため,水田が村域の70%近くを占める。リンゴスイカの栽培,養鶏,養豚も盛んで,村外にも養鶏施設がある。常盤八幡神社では毎年1月1日に年縄奉納裸参りが行われる。JR奥羽本線が通る。

藤崎町西部の旧町。南津軽郡所属。人口1万0327(2000)。津軽平野中央部に位置し,岩木川と平川,浅瀬石(あせいし)川の合流点東岸の沖積地を占める。津軽地方で最も古くから開けた地で,中世には安東氏が居城し,近世には羽州街道の宿場町,岩木川舟運の河港として栄え,津軽藩の代官所や藩倉がおかれた。明治中期,リンゴを商品作物として会社組織で栽培する敬業社(1885開園)が設立され,以後,リンゴ栽培は米作と並ぶ町の基幹産業となった。1938年には農林省東北農業試験場園芸部が設置され,品種改良がすすめられるなど,リンゴ栽培の先進地域で,62年に試験場は岩手県に移転したが,跡地弘前大学の農学部付属農場(現,農学生命科学部付属生物共生教育研究センター藤崎農場)となっている。また県立藤崎園芸高校(現,県立弘前実業高校藤崎校舎)には全国唯一のリンゴ科がある。平川はハクチョウの飛来地として知られる。JR五能線,国道7号,339号線が通じる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤崎」の意味・わかりやすい解説

藤崎(町)
ふじさき

青森県中央部、南津軽郡の町。津軽平野南部、岩木川と平(ひら)川の合流点に位置する。1923年(大正12)町制施行。1955年(昭和30)十二里(じゅうにさと)村と合併。2005年(平成17)、南津軽郡常盤村(ときわむら)を合併。JR五能(ごのう)線・奥羽本線、国道7号、339号が通じる。中世には安東氏(あんどううじ)の居城があり、十三湊(とさみなと)と岩木川の水運で結ばれていた。近世には弘前(ひろさき)藩により新田開発が進められた。現在、水田とリンゴ園が町域の約70%を占める。農林省東北農業試験場園芸部が岩手県に移転し、その跡は弘前大学農学部附属藤崎農場(現、弘前大学農学生命科学部附属生物共生教育研究センター藤崎農場)となり、地域のリンゴ・蔬菜(そさい)栽培に貢献している。面積37.29平方キロメートル、人口1万4573(2020)。

[横山 弘]


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百科事典マイペディア 「藤崎」の意味・わかりやすい解説

藤崎[町]【ふじさき】

青森県南津軽郡,津軽平野南部の町。弘前(ひろさき)市に東接し,奥羽本線,五能線が通じる。米とリンゴの多産地で,ブドウも産する。寛治年間安倍貞任(さだとう)の遺児が築城した藤崎城跡がある。2005年3月南津軽郡常盤村を編入。東日本大震災で,町内において被害が発生。37.29km2。1万6021人(2010)。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「藤崎」の解説

藤崎

正式社名「株式会社藤崎」。英文社名「Department Store Fujisaki Co., Ltd.」。小売業。文政2年(1819)前身の「得可主屋えびすや」創業。明治45年(1912)「株式会社藤崎呉服店」設立。昭和5年(1930)現在の社名に変更。本社は仙台市青葉区一番町。百貨店。仙台の最大手。宮城県中心に東北地区でギフトショップを展開。

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デジタル大辞泉プラス 「藤崎」の解説

藤崎

宮城県仙台市青葉区にある百貨店。1963年オープン。

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