日本歴史地名大系 「狩太村」の解説 狩太村かりぶとむら 北海道:後志支庁ニセコ町狩太村[現在地名]虻田(あぶた)郡ニセコ町字ニセコ・字中央通(ちゆうおうどおり)・字富士見(ふじみ)・字本通(ほんどおり)・字元町(もとまち)・字里見(さとみ)・字豊里(とよさと)・字近藤(こんどう)・字羊蹄(ようてい)・字有島(ありしま)・字富川(とみかわ)・字宮田(みやた)・字黒川(くろかわ)・字福井(ふくい)・字西富(にしとみ)・字桂台(かつらだい)・字曾我(そが)・字東山(ひがしやま)・字峠(とうげ)・字絹丘(きぬおか)明治三四年(一九〇一)より昭和二五年(一九五〇)まで存続した村。当地域の一帯は明治二年八月の国郡画定により胆振国虻田(あぶた)郡に所属、同郡虻田村のうちであったが、同三〇年七月に真狩(まつかり)村として分立、さらに同三四年一〇月真狩村によりマッカリブト(真狩太)の地が分立し、狩太村とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by