狭宮神社(読み)さみやじんじや

日本歴史地名大系 「狭宮神社」の解説

狭宮神社
さみやじんじや

[現在地名]山南町和田

和田わだ東西に走る播磨地方への往還に南面する。若沙那売命を主祭神とし、誉田別命を配する。旧村社。「延喜式」神名帳に載る同名社(小社)に比定される。現在地に移る以前は和田西端の字下町南浦しもまちみなみうらにあった小祠とされる(「和田邑以後覚書」木戸家文書)。社伝によると正保年間(一六四四―四八)現在地に移され、元禄一三年(一七〇〇)に京都より八幡神を勧請し相殿に祀ったというが、前掲覚書では寛永一六年(一六三九)に造立を開始、宮寺威徳いとく寺は同一八年の造立とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む